じんせいぼうけんのしょ

ありのままに。2019年9月まで組織に属した1サラリーマンでした。ある日を境に出社が出来なくなりました。元々持っていたパニック障害に加え、抑うつの症状が表れたためです。30歳の時、年収550万ほど得ることが出来るようになり出世欲のない私は人生これで大丈夫だと安心していました。生業も含めた今後の生活を”うつ活”と名付け、どうしていけば良いものか考えているところです。いずれはただの趣味ブログになるように願っています。

J2最終節

こんばんは。

この時間でもすっかり夜になりました。

ブログ更新が夜になったのはタイトル通り今日はJリーグディヴィジョン2の最終節があったからです。

 

私はJ1の湘南ベルマーレを応援し始めて13年になります。7年間ほど全国各地のスタジアムゴール裏での応援の為に試合日程を中心に生活をしていた時期もあります。昨日試合あったんだから自チームの話しろよってこともあるんですけど(笑)

 

さて、毎年J1、J2、J3他のカテゴリーで誰が脚本を書いたわけでもない生きたドラマが起きます。既に引退する選手や契約満了が発表されている選手もいます。

 

J2の最終節 全試合同時キックオフ。

J1昇格争い、J2残留争いが今年も最終節までもつれました。

私も経験がありますが当該クラブのサポーターは言葉では表せないほどの緊張感に包まれる1日です。

 

同時キックオフなのでどこの会場がどう動いているのか追いかけていくのにDAZNでのザッピングとTwitterでの情報収集が大変です。現時点では順位はどうなるのかリアルタイムで変化していきます。

※ちなみに現地組の場合は試合中他会場の結果は気にせず最良の結果を祈りながら自チームの勝利の為に声を上げ続けます。大方の状況を知るのは試合終了間近~終了後になります。

 

今年でいえばまずJ1に無条件で昇格出来る2位の可能性を持っている横浜FC(キングカズこと三浦知良選手、中村俊輔選手、松井大輔選手らが在籍しています)と大宮アルディージャの争い。

※J2の優勝は柏レイソルで決定していました。最終節も気が緩むことはなく13-1と野球のようなスコアでJリーグ新記録で勝利しました。

 

続いて、4位~6位のJ1昇格プレーオフ争い(3位も含めた最終節後のトーナメントで勝ち残るとJ1の16位と入れ替え戦に挑むことができる)で徳島、山形、水戸、甲府、京都の争い。

 

最後にJ2残留争いの町田、栃木、鹿児島。

※岐阜は既に最下位が確定しており、先の3チームからJ3の2位との入れ替え戦に臨むことになるチームが1チーム決まる。

 

それぞれ立場は違えど同じ争いの直接対決は無かったのでなおさら他会場の進捗が気になっていたことでしょう。

 

結論から言うとこの記事に全てを書ききることは出来ません。

勝負の世界なので歓喜に湧くチームがあれば悲しみに暮れるチームも必ずあります。

勝って泣いた監督選手サポーター

負けて泣いた監督選手サポーター 

勝ったけど上記の争いには敗れて泣いた監督選手サポーター

チャンネルを変える度にいろんな光景や空気感が画面を通じて伝わってきました。

素晴らしいものを見た、よかった。感動した。

ビジネスにも通じるかも、人生にもリンクするかも。などなど、観る者にそう思わせる力をJリーグは持っています。

みなさんの住む各地、もしくは生まれた街にもサッカーチームがある可能性はかなり高いです。目や耳にした機会のある方も多いのではないでしょうか。

ぜひ!ぜひ、一度スタジアムで感じてきてください。

心からオススメいたします。

 

ここまで書きましたからもう少し突っ込んだお話はまた別の機会に。

【昨日のうつ活】小さな幸せと経済的事情

こんにちは。

一昨日に続き、妻の仕事が休みだったため日中は外出をしました。車の運転は妻にしてもらいました。

私がTwitterでも食べログでもずっと気になっていた行列の出来るラーメン店と妻が調べていた営業していることがレアなパン屋さんをハシゴしました。

そのまま、当初私の気が進まなかったアナと雪の女王2を映画館で見てきました。

( ※昨日気が進まなかった理由はパニック障害抑うつの症状が悪く、映画館のような閉鎖空間で大きな音や映像に負けてしまうからではありません。)

単純に他にも見たい作品があったのとアナ雪2への期待感の薄さからでした。

 

自宅に帰ってきてからいつものお風呂掃除や食器洗いをして休み(寝て)、夕食を食べて、テレビを見て、コンビニに買い出しに行って、寝る。平穏で幸せな1日でした。

正直、記事にもする必要がないこんな日々を過ごせたらそれは私にとって素晴らしいことです。

 

 

妻には経済的に負担をかけています。私が稼いでいた時期と違い、気を遣ってパンの代金や映画代金を支払ってくれます。東北水準の時給パート収入なので大した稼ぎではありません。

心の奥底から楽しいと思えるようになるには以前のように自分も稼ぐ、もしくは宝くじで10億円でも当たれば…。

経済的な安心は人の精神状態に1つの要因として大きく影響を及ぼします。

しかし、非常に裕福だったとしても精神病に悩まされている方々がいることも忘れてはいけません。それが人の全てではないからですね。

 

”  何か楽しいことないかな  ”と考えるようになったらだいぶ症状は良くなっています。

職場復帰も近い、もしくは出来る状態にあります。

 

以前のブログに書き忘れましたが、休職中の会社との面談で、

「 復職した時にはどれだけ朝起きて嘔吐こうが目眩や動悸が起ころうがやるべき事は這ってでも会社に来てやってもらわないこと困るからね。」

と幹部に言われたことを思い出しました。

 

再発のリスクを考えば考えるほど足はビクとも動かなくなってしまいます。もう、病に悩まされたくないと切に願っているから怯えてしまうのです。トラウマです。

 

順調な時ほど目にもとめなくなってしまう小さな幸せを感じ取っていきたいですね。

【今日のうつ活】精神病患者の就職活動

みなさん、こんにちは。

昨日よりは天候は良くなりましたが、それでも最高気温は8℃ほどの山形市には冷たい風が吹き続けています。

 

【今日のうつ活】は食器洗い、お風呂掃除、妻と外出。

妻は仕事が休みで食べログで調査済みのお蕎麦屋さんに行くため(本当はお気に入りのお店に行ったら臨時休業だった)午前中から出掛ける準備をして、車の運転は私がしました。日用品の買い物の必要もありました。

 

昨日、パニック障害の車の運転不安について書きましたが今日は全く問題ないなと自分で感じていたのでその通り何事もなくトータル2時間ないくらいの運転をこなしました。ホッとしているところです。

 

さて、掲題の精神病患者の就職活動についてです。こちらも昨日の話の続きになりますが、採用試験2次、3次同日受験がありました。ここを通ると代表との最終面接になるのですが、

 

肝心なのは” 病気について話すか話さないか ”という点に尽きます。

 

まず、私は精神障害者保健福祉手帳を取得しておりません。主治医からはそのレベルまででは無いと言われているからです。よって障害者限定求人に応募することは出来ません。

 

企業の採用試験は一般的な例として書類選考→一次面接(+適性検査や小論文など)→二次面接→最終面接とありますが、どの段階で病気について話すか。

 

答えは、 話さない   となります。

 

主治医からもパニック障害抑うつの話を正直に話してそれでも採用通知を出してくれる寛大な会社は100に1つあるかないかだろうと言われました。

私もそう思います。

 

本当はブログやTwitterで打ち明けているように全てを話したい気持ちはあります。

でも、現実はそれを話したらほぼほぼ終わりなんです。

同じように隠しながら活動をしている方々がたくさんいるのではないでしょうか。

 

就業中、完治したのではないかというくらい何の症状も出ない時期が数ヶ月~数年と続く時もあります。それはそれはなによりでこの期間とても幸せです。

 

しかし、再発し休職をすればその会社の中での自分に対するイメージは大きく変わります。

近況報告面談のために何とか会社まで辿り着いて、久しぶりに同僚と顔を合わせますが、声をかけてくれることは限りなく少ないです。どう接したらいいのか分からない場合もあるかもしれません。

 

人事部や幹部との面談では休職→退職への話がチラつきます。

ある会社では私が休職している間に私の業務上のミスを粗探しして面談の時に箇条書きされたものを読み上げられ、事実確認と署名を求められました。

当然、そんなことをされては復職できても会社には居づらいです。ショックでしたし、辞めさせたいんだなと暗に理解させるものでした。

 

また、別の会社では主治医が完全休養しなくても治療と服薬と工夫をしながら就業は続けられるから辞めなくて良いと見解を示しました。

会社側はてっきり医師からも退職休職を薦められるものと考えていたらしく少し困惑した様子で、「休職当初恐らくこのまま辞める可能性もあるって話していたよね。

あと、私が継続就業の意志を示すことは自由だが会社としては希望とはそぐわない結論を出さなければならない可能性がある。」と伝えられました。

それを聞いて先の会社と同じく辞めて欲しいんだなと察しました。

自宅に戻り、退職の意を電話で伝えると月並みな慰めの言葉と同時にすぐに受け入れられ、その後の退職時の手続きをスムーズに案内されました。

 

これらは全て事実、私が経験したことです。

不本意ながら会社にとっては ” 目の上のたんこぶ ” となってしまうのです。

 

収入源は生活の大事な大事な基盤です。

でも、どうしたら良いのか正直分かりません。だからこそ考え続けているんです。

別の記事で社会保障にも触れたいと思います。

今日はこの辺で。お疲れさまでした。

ありがとうございました。

【今日のうつ活】米沢まで採用試験を受けに行ってきました~パニック障害~

みなさん、こんばんは。

今日も一日お疲れさまです。私は17:30頃帰宅しました。

【今日のうつ活】ですがタイトルに記載したように、ルーティンの掃除機かけ、食器洗い、お風呂場掃除を終わらせ午前中のうちに米沢市に向けて外出しました。目的は13:00に約束の採用試験です。

 

” これが私にとってカンタンなことではありません。”

 

※ここから先の話は自分には考えられない、想像できない…って方がたくさんいると思います。

パニック障害のお話です。

 

昨晩は睡眠につきやすいように薬を飲むタイミングを慎重に図り、お風呂に入るタイミングも考慮。豆乳コーヒー、麦芽コーヒーが好きでさらに牛乳で割ってよく飲むのですが、カフェインに弱い私は飲む量と濃度にも特に気を遣いました。

 

功を奏して昨晩は良質な睡眠をとることができました。

体調の良くない時には朝になるまで何度も途中で起きてしまいます(例えば、2時~3時から約1時間に1回の頻度で目覚めてしまう日もありました)

 

起床してからはあまりゆっくり時間を取らずに薬を飲んで活動を開始します。時間があれば余計なことを考えてしまう可能性があるからです。外出することに緊張して怖くなってしまい家から出られなくなるかもしれません。これは、パニック障害の影響です。

車で米沢まで向かうことも選択肢にありましたが、高速で1時間の距離、特にトンネルや渋滞、右折車線、右車線に入ると失神するのではないかと思うほど動悸が激しくなり過呼吸を起こすこともあります。

私の場合、逃げ場が無くなると特に緊張感が増すようです。

結局、今朝になってバス→電車→タクシーの移動手段を選択しました。帰りはその逆です。

 

パニック障害にも度合いがあり、ほんの少しの距離のバスも電車も乗れなくなるほど悪化したこともありました。

横浜の石川町から渋谷区初台まで電車通勤していた時代にもある日パニック障害により通勤が出来なくなりました。

休職状態から復職するために段階をおってトレーニングをしていきました。

最初は妻にも一緒に電車に乗ってもらって行けるところまで行きました。次に1人で1駅だけ乗って帰ってくる練習をしました。お昼時間の電車の空いているときにプレ通勤をし、最後に朝の満員電車時間のプレ通勤を経て本業復帰できました。

何事もなく出来ていたことがある日急に出来なくなるのは理解し難いし、とても悲しくなります。

なんでなの?って思う方、僕もそう思ってます。

 

幸い今は電車やバスの移動は問題なく済んでいます。

車の運転は日によって危険な日が自分の感覚で分かるのでそういう日は近所のスーパーや公園、コメダに行く時も止めます。

 

これが私の経験した、経験しているパニック障害の特徴です。

 

ちなみに、今日の山形県は最高気温が5℃あるかどうかくらいで初雪を記録しました。
おまけ話はTwitterで。

【今日のうつ活】時間について

こんにちは。

東京は今日22℃まで上がるそうですね。

こちら山形は最低気温3℃の最高気温15℃です(ちなみに明日は最高気温7℃予報)

この季節になると気温の地域差も大きくなるみたいです。というのも私にとっては妻の帰省以外では初めての東北の冬を経験する事になるからです。

正直ちょっと怖いですね…。

 

さて、【今日のうつ活】ですが毎日毎日大きな変化があるわけではありません。

掃除機をかけて、お風呂場を洗って、食器を洗い、ブログを更新して、DAZNアメリカンフットボールを流し見していました。あとは、積読になっている雑誌を少し読みました。昨日とほとんど変わりませんね。ただ、、、

 

時間 ” について今日は少しお話したいと思います。

昨日の記事で、体調が悪くて何にも活動が出来ない時ほど1日が長くて長くて長くて長くて長くて長くて堪らないほどツラいものと書きました。

 

感じ方は状態によって変わります。

絶望的状態にいると1日が長くてツラいと感じることさえありません。ほぼ ” ”です。

せいぜい考える事は「死にたい」「点滴や薬を飲むことで安楽死が出来るなら尚更ありがたい。望んで選択したい。むしろ、それが救いに思える」

それくらいです。これが毎日毎日です。

上記メッセージは周囲の方々にも伝えることが多いので分かりやすいのではないでしょうか。

 

1日が長いと感じられるのは状態が少し改善されてからのことです。睡眠時間によっても変わってきます。

あと、朝起きるのと昼起きるのでも違います。寒い時期は(仕事のように重要な)予定が無いと特に朝起きることが難しくなって夜型生活になりがちです。健康でも冬は朝スッキリ起きることが苦手な人は多いのではないでしょうか。

 

あまり長文になるのも良くないので、この辺りで区切りたいと思いますが、抑うつの1番状態の悪い時と少し改善されてきた時のマインドや時間の感じ方はお伝え出来ました。

 

もちろん服薬によっても影響は出ますので、薬についてはまたの機会に。次回は【人付き合い】をテーマにします。

※医学に精通している者ではないド素人なので、あくまで私の経験に基づいたことのみお伝えしていきます。

【今日のうつ活】精神病患者が静養するということ

早速【今日のうつ活】を記事にしたいと思います。

 

その前に…前職を退職してからというもの、活動といえるほどの何かを日々の中でやっているのかと問われれば答えはNOになります。

 

私にも全く身体を動かすことが出来ない日もたくさんありました。今後への不安から朝から嘔吐いてばかりの日もあります。

気持ちが乗らない、気分が悪い=俗に言う気持ちの問題と捉えられることがいまだに多いのではないでしょうか。

” なんで外出もしないで毎日家にいるんだ。寝てばかりいないで図書館でも公園でも行ってきたらいいのに·····。気持ちの問題でしょ ” 

 

それが出来ていたらとっくに毎日元気に遊び回っています。医師だって会社を辞めたら?と薦めるだけでみんな治ってしまいます。薬なんて開発する必要も無いのです。

 

先ほどのように言いたくなる気持ちも十分に分かっています。見ていてイライラすることも多々あるでしょう。

” 申し訳ない、不甲斐ない、ごめんなさい。絶対に自分のこと悪く思っているだろうな ”

こういった気持ちしかありません。

何の役に立たない自分。

ここにいたくない。

そう思います。

 

何も出来ない1日が長くて長くて長くて長くて長くて長くて堪らないツラさを毎日感じているのです。

そのことを身近な方々には知っていていただきたいと切に願います。

 

幸い今の私は症状が軽い方に入ります。それでも社会復帰の道のりは長く険しいものです。

ちなみに、今日は掃除機をかけて、お風呂場を洗い、食器を洗って、ブログの開設方法を調べ、実行しました。他には少しだけクラウドファンディングも調べてみましたね。

途中、DAZNでF1とアメフトを流し見して、沢尻エリカさんのドラッグ問題で持ち切りのワイドショーも少し見ました。スマホゲームもしました。外出はしていません。

 

これだけでも同じ病気を抱える人から見れば、”君はかなり良い状態だね” と言われるレベルなんです。

 

精神病患者は、絶対安静・静養必須と医師から指示されることが多いですが何も出来ない状態を除いては何もするなと言っているわけではないんです。

”むしろ何かを自らやりたいと思えるような状態にまでなったのならばどんどん活動してほしい”とお聞きしました。

 

【今日のうつ活】よりも紐づいた話のほうがいつの間にか長くなってしまいましたが、無意識のうちにどうしてもお伝えしたかったんだと思います。

自己紹介

みなさまこんにちは。

そして、はじめまして。ぐらたんと申します。

名前は単純に1番好きな食べ物から選びました。

 

まずは自己紹介をさせていただきます。

私は今現在パニック障害抑うつ病を患って治療を受けています。そして、無職です。妻もいます。かつ婿入りしています。

最近、失意のどん底からやっと調子が上向きになってきたところで生業も含めた今後の生活をどうしていけば良いものか、「うつ活」を考え始めるようになりました。

これからささやかな日々の活動や病気のことを綴っていきたいと思います。特に家族や友人知人、同僚など身近な人に同じ病気を抱えていてどう接したら良いかコミュニケーションに困っている方のお役に立つこともあるかもしれません。

 

  • 私のプロフィール詳細

ここからはプロフィールにもブログの説明にも書いたことのもう少し詳しい話になりますが、私も2019年9月まで組織に属した1サラリーマンでした。学習塾講師からキャリアをスタートします。その後小さな学習塾を立ち上げ経営し始めました。

次に大手ケーブルテレビ会社の営業、総合商社にて転職支援サービスのコーディネーターとクライアント開拓営業。直近が食品メーカーの総合職です。

パニック障害は学習塾経営時代から抑うつは総合商社時代に発症。休職や退職、引っ越しを繰り返しながらも何とかサラリーマンを続けていました。

 

”ある日を境に完全に出社が出来なくなりました”

 

30歳の時には年収550万ほど得ることが出来るようになりこれ以上出世しなくても人生これで大丈夫だと安心していました。

それもこれも全て崩れてなくなりました。

前職を辞めてからは「この先どうやって生きていくんだ」という不安だけが毎日頭をよぎります。

それでも少しは症状は回復し、こうしてブログを書き綴っているといった状態です。

 

この先どうなるかなんて誰にも分かりませんが、誰かのお役に立つこともあればと病状と相談しながら更新していきたいと考えています。

どうぞよろしくお願いいたします。