じんせいぼうけんのしょ

ありのままに。2019年9月まで組織に属した1サラリーマンでした。ある日を境に出社が出来なくなりました。元々持っていたパニック障害に加え、抑うつの症状が表れたためです。30歳の時、年収550万ほど得ることが出来るようになり出世欲のない私は人生これで大丈夫だと安心していました。生業も含めた今後の生活を”うつ活”と名付け、どうしていけば良いものか考えているところです。いずれはただの趣味ブログになるように願っています。

前回からの経過と就活中の今の気持ち

こちらに日記を書くのは久しぶりになります。

ツドツドTwitterでは呟き続けていましたが、ふと今の気持ちを書き綴りたいと思いこのページを開きました。

 

おさらいをすると前回は山形に車を取りにいく前に書いたものでした。親友と山形に向かう新幹線の中でだんだん終点が近付いてくるにつれて自然と涙が溢れていました。

 

在来線に乗り換えて最寄り駅から妻の実家へ歩いている間は地に足が付かない浮ついたような様子でした。

そして、家に着いたとき感情が爆発して号泣していました。事前の約束通り家には誰もいませんから決められたところに置かれた車の鍵を取り、親友も早くその場からいなくなったほうがよいと思ったのか運転をするからと出発しました。

思い出深い景色を助手席から眺めながらどんどん遠ざかっていきました。今はもうあっという間に静岡まで移動していた気がします。親友は結局最後まで一人で運転してくれました。大変ありがたいことです。

 

もう人生終わってもいいかなと考えながらずっと寝床に伏せっていましたが周囲の励ましと時間の経過が少しずつ正常な思考に自分を戻していきました。そして、社会福祉協議会に連絡したのが最初の一歩でした。

数日後に相談員の方が自宅まで来てくれて病気のこと、仕事のブランク、経済的なこと、現状について親身に話を聞いてくださいました。いま、ここで会えたことも神様が作った一つの縁なのだと言ってくれました。

アドバイスをいただいて自立に向けて動き始めました。住民票やマイナンバー、免許証の異動や変更、金融機関への変更手続き、4月1日私は旧姓に戻りました。

主治医への通院も続けました。医師にこの1ヶ月の間に起きたことを報告しているとよく今日病院まで来れたわねと驚かれました。もっと具合が悪くなっていてもおかしくなかったようです。

これはみなさんのおかげとしか言いようがありません。

 

就活も始めました。これまで転職する際に不採用を受けたことはほとんど無く、内定をいくつかいただいた中からお世話になる企業を選択する機会がほとんどでした。

しかし、私も人事に携わっていたことがあるので前々から分かっていましたが34歳での再就職は相当厳しいものになると覚悟していました。

実際に書類選考で何社も不採用になり、中には面接もありましたがやはり不採用が続いています。

覚悟していても当初は凹みました。今は良いことではないかもしれませんが慣れてきました。すぐに次に向かえるようになりました。

 

29歳の時、年齢制限いっぱいの最後の転職だと就職した会社が例の年俸520万ほどで契約した会社です。無駄に失うことをしなければ出世しなくとも十二分に生活していけるお金。今だから打ち明けますが渋谷区初台の新国立劇場も入っている東京オペラシティにある会社でした。オフィスもキレイで休憩はよくオペラシティ内のいくつもあるおしゃれなカフェなどを利用していました。

社内イベントでは恵比寿ガーデンプレイスの三ツ星レストランを貸し切りジョエル・ロブションで食事会をしたりキラキラしたサラリーマンだったかもしれません。

 

山形に移住した去年、幸い就職先は順調に決まりましたが給与は半分以下に落ちました。それでも新生活を楽しみたいと意気込んでいました。あとは過去に書いた通りです。

 

今は地元での就活をしています。熱海は観光地ではありますが町は小さくサラリーマンらしい仕事はほとんどありません。少ない求人の中で自分の居場所を探しています。給与水準も低いです。それでも十分と考える反面、過去と同じくらいやれるのではないかと自分に期待する気持ちも湧いています。

失礼のないように妥協はしたくありません。就業条件が良いだけが幸せの全てではありません。

選んでなんていられない身の丈もよく考えなければなりません。

そういった点ではモヤモヤしながら就活をしていると言えるかもしれません。

 

お役に立ちたい、必要とされたい。

小さな幸せを感じながら日々を過ごすこと。

お互いさまの感謝の気持ちを持ち続けること。

この気持ちだけは変わりません。

 

心が擦れるようなことがあっても大切な人のことを思ってください。絶対に失わないように。

それでは、この後もみなさん良い時間をお過ごしください。

 

山形へ

おはようございます。

ついにこの日が来てしまいました。

3/24 山形の妻の実家へ車を取りにいきます。

熱海は気温も高くいい天気です。

既に電車に乗っています。

どんな気持ちでいれば良いのか分からず複雑な心境です。

昨日妻からのLINEに感情が爆発し、泣き崩れてしまいました。

 

つい3日前に地元の同級生が久しぶりに話をしようと自宅近くまで来てくれました。

ファミレスで2時間くらい、隣にある海沿いの公園を1時間ほど歩きながら話しました。

彼は学生時代の成績は優秀で私もなかなか勝つことは出来ませんでした。

私の知らないところで新卒で某証券会社に就職していましたが、ある時を境に出社すると汗が止まらず周りの声が耳に入らず集中力に欠け目眩がするようになり社会不安障害と診断されて退職していました。

彼もまた実家に戻って自室から出ることが出来ずに閉じこもっていたそうです。田舎なので近所の目もありますし、公園に行くなら夜に限ってました。

そこに偶然私もよく散歩をしていた同じ公園で再会しました。

 

最初にどんな声を掛けたかは忘れてしまいましたが、上記した彼の事情はそこで全て聞きました。たまにはファミレスで話をしようと誘って週1くらいのペースで会うようになりました。昔話をしたり身体の具合を聞いたり趣味の話をしたり仕事の話をしたり…私は意識していませんでしたが彼にとって貴重な息抜きになっていたそうです。

無意識のうちに彼を立ち直らせる言葉や行動をしていたようで先日感謝されて初めて気付きました。

 

だから今度は俺の番だと言ってくれました。

いま、彼は結婚もし子供もいて地元近くの街で働いています。元気になりました。うれしいことです。

 

電車で隣に立っている人、街中ですれ違った人、会社の同僚…みんな色んな背景を持っています。

それでもみんな頑張っています。

みんな素晴らしいんですよ。

【今日のうつ活】久しぶりの外出

こんばんは。
今日は親友が10年来の付き合いのある山のケーキ屋さんに連れ出してくれました。

例によって私は11:00を過ぎても横になっているだけでした。

「起きてる?」のLINEから「車で迎えに行くからケーキ屋さんに行こう」までがとても早く勢いで外出しました。
春のように暖かく、外気を久しぶりに全身で感じました。
時代に取り残された浦島太郎のような感覚を覚えます。

ケーキ屋さんの店主にも励まされ、泣きそうになるものを堪え、少し気持ちのベクトルは変わったかもしれません。
4時間くらい滞在したでしょうか。
添付の写真はお店のベランダから撮ったものです。

そのままスーパーに寄ってもらって、牛乳や卵、納豆を買って帰ることも出来ました。
友人にも店主にもそして皆さんにも感謝感謝です。

これだけは毎日メッセージとして自戒として書きます。
”小さな幸せは小さな幸せではありませんでした。
大きな大きな幸せだったんです”

それでは、おやすみなさい。

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人の背景

今日はいい天気なんですね。
窓から見える外の様子で毎日の天気を確認しています。
元気だったらうれしいと思えるんだろうなぁ。

まともな思考が出来ないので、あまり書くことがありませんが今日も1日横になって過ごすだけになりそうです。

みんなみんな頑張ってますよね。
表沙汰にすることなくひっそりと自分の中に抱え込んで日々を踏ん張って生きている人もたくさんいるはずです。
人それぞれの背景は計り知れません。
すごいことですよ。

そんなみなさんに小さくても幸せがありますように。

【今日のうつ活】 底なし

底なし。

 

人生で失敗した。つまづいた。

あの時こうしていれば·····。

タラレバを考えたことは多くの方があると思います。

 

落ち込み、深く悲しみ、何も出来ない、食事もいらない

、お風呂も入りたくない、布団から起き上がることさえ出来ない。

段階はそれぞれとしても底に落ちた時のことおぼえているでしょうか。

 

私にもいくつかあります。

ただ、今ほど底なしに悲しみに打ちひしがれた経験はありません。

 

お金よりも仕事よりも趣味よりも大切な人を失った。

その事の大きさが心身に表れています。

何もかももうどうだっていいとさえ思っています。

 

Twitterでも呟きましたが昨日妻から届いた離婚届を無心になって書き上げ、その後数時間泣き崩れていましたが妻の実家のカギとお義父さんお義母さんへの感謝と謝罪の手紙を同封し、ポストに投函するその手を放してしまいました。

 

あとは、封筒に書かれた妻の手書き文字と携帯に残された思い出の数々をずっと見つめていました。

 

妻は会うとしんどくなるので山形にある私の荷物はまとめて送ってくれるそうです。

届け出は今月31日に提出しにいくそうです。

私の車は家まで取りに行くことになっています。

誰にも会わないように駐車場から出ていきます。

親友が付き添ってくれます。ありがたいです。

とても静岡まで1人で運転して帰ってくることは出来ません。

山形の家が近付くにつれ私のメンタル崩壊のピークを迎えるんだと予想しています。

 

今日私は何もしていません。

ずっと横になったままこの日記だけを書きました。

身体が痛いです。頭も痛いです。

テレビはうるさいのでつけません。

人と会話することもありません。

最後に笑ったのはいつかも思い出せません。

 

ブログやTwitterでの私の様子を見て温かい言葉をかけてくださった方々。

改めてありがとうございます。

厚く御礼申し上げます。

 

 

妻を失うということ

ブログではご無沙汰しています。

Twitterでは呟き続けていましたが、更新します。
心が乱れているので文章がおかしい部分もあるかもしれませんがお許しください。

私は今、前回の記事を最後に妻の実家を離れて自身の実家にいます。療養のためです。
山形から移動後すぐに元々通院していた先生の元へ向かいました。
①状態が二段階良くならないと(医師の中での)社会一般の生活には戻れない。
②それまで処方されていた薬も合っていないし、昨秋から何も治療になっていなかった。もっと早く帰ってきちゃえば良かったのに。
③今の思考は正常な状態の脳で考えられるものではないからなんのあてにもならないからアレコレ考えるだろうけど、それを忘れないように。
④あなたみたいな状態から完治しなくても十分働いていけている人はたくさんいるから心配いらない。

と告げられました。


それからの私はTwitterでの投稿通り体調と相談しながら自宅に引きこもらないよう外出する活動を取るようになりました。

1ヶ月後の診察の時にはだいぶ良くなっている。
2ヶ月後の診察の時にも経過は順調と診断されました。

前回の診療のあとに主治医からそろそろ家族の話に踏み込んでいいと指示もあったので、山形の妻に連絡をしました。
今後どうしていくかについて考えて欲しいと伝えました。


以前、病人を夫に持つ妻の選択肢として離婚してリセットすることも今後の幸せのためにあると書きました。
今でもそう思います。

そこにはきっと強がりがありました。


つい3、4日前です。
「離婚しましょう」

LINEにはそう表示されました。
私は飲めないお酒をスーパーに買いに家を飛び出していきました。ただただ泣きくれていました。
すぐに酔っ払って全身が赤くなり頭が痛くなり気持ち悪くなりました。

心が貧しくてぽっかりと空いてしまった穴を後悔だけが埋めつくしています。それから毎日家に閉じこもって1日の大半を横になって過ごしています。

手続きや荷物わ車の処遇のやり取りだけがLINEで行われています。

本日、離婚届が郵送されてきました。
無心になって書き上げました。
封をしてからは泣くばかりでポストへの投函を弟に頼みましたが、やっぱり自分で入れようと書いてから数時間経った先ほど妻の実家の鍵と感謝とお礼と謝罪を手紙にしたものを同封してついにポストへ入れた手を離してしまいました。


僕は不器用で世渡りも下手くそです。
ダサいです。情けないです。
男は女々しい。
女性以上に過去を引きずるといいます。
その通りです。
別に笑われてもいいです。

僕は妻が好きです。幸せになって欲しいです。
失恋で泣いたことはありません。
離婚は特別です。
お金よりも大切なものを失ってしまいました。
小さな幸せは小さな幸せではありませんでした。
それは大きな幸せでした。

どうか皆さんは大切な人改めて思い浮かべて手放さないように日頃の感謝の思いやスキンシップをとってください。


尾崎豊の「僕が僕であるために」を何度も聞いています。
心の奥底まで染み込んできて涙が止まりません。

このショック状態から前向きに生きる方法を僕は知りません。

妻を失うということ

ブログではご無沙汰しています。

Twitterでは呟き続けていましたが、更新します。
心が乱れているので文章がおかしい部分もあるかもしれませんがお許しください。

私は今、前回の記事を最後に妻の実家を離れて自身の実家にいます。療養のためです。
山形から移動後すぐに元々通院していた先生の元へ向かいました。
①状態が二段階良くならないと(医師の中での)社会一般の生活には戻れない。
②それまで処方されていた薬も合っていないし、昨秋から何も治療になっていなかった。もっと早く帰ってきちゃえば良かったのに。
③今の思考は正常な状態の脳で考えられるものではないからなんのあてにもならないからアレコレ考えるだろうけど、それを忘れないように。
④あなたみたいな状態から完治しなくても十分働いていけている人はたくさんいるから心配いらない。

と告げられました。


それからの私はTwitterでの投稿通り体調と相談しながら自宅に引きこもらないよう外出する活動を取るようになりました。

1ヶ月後の診察の時にはだいぶ良くなっている。
2ヶ月後の診察の時にも経過は順調と診断されました。

前回の診療のあとに主治医からそろそろ家族の話に踏み込んでいいと指示もあったので、山形の妻に連絡をしました。
今後どうしていくかについて考えて欲しいと伝えました。


以前、病人を夫に持つ妻の選択肢として離婚してリセットすることも今後の幸せのためにあると書きました。
今でもそう思います。

そこにはきっと強がりがありました。


つい3、4日前です。
「離婚しましょう」

LINEにはそう表示されました。
私は飲めないお酒をスーパーに買いに家を飛び出していきました。ただただ泣きくれていました。
すぐに酔っ払って全身が赤くなり頭が痛くなり気持ち悪くなりました。

心が貧しくてぽっかりと空いてしまった穴を後悔だけが埋めつくしています。それから毎日家に閉じこもって1日の大半を横になって過ごしています。

手続きや荷物わ車の処遇のやり取りだけがLINEで行われています。

本日、離婚届が郵送されてきました。
無心になって書き上げました。
封をしてからは泣くばかりでポストへの投函を弟に頼みましたが、やっぱり自分で入れようと書いてから数時間経った先ほど妻の実家の鍵と感謝とお礼と謝罪を手紙にしたものを同封してついにポストへ入れた手を離してしまいました。


僕は不器用で世渡りも下手くそです。
ダサいです。情けないです。
男は女々しい。
女性以上に過去を引きずるといいます。
その通りです。
別に笑われてもいいです。

僕は妻が好きです。幸せになって欲しいです。
失恋で泣いたことはありません。
離婚は特別です。
お金よりも大切なものを失ってしまいました。
小さな幸せは小さな幸せではありませんでした。
それは大きな幸せでした。

どうか皆さんは大切な人改めて思い浮かべて手放さないように日頃の感謝の思いやスキンシップをとってください。


尾崎豊の「僕が僕であるために」を何度も聞いています。
心の奥底まで染み込んできて涙が止まりません。

このショック状態から前向きに生きる方法を僕は知りません。