じんせいぼうけんのしょ

ありのままに。2019年9月まで組織に属した1サラリーマンでした。ある日を境に出社が出来なくなりました。元々持っていたパニック障害に加え、抑うつの症状が表れたためです。30歳の時、年収550万ほど得ることが出来るようになり出世欲のない私は人生これで大丈夫だと安心していました。生業も含めた今後の生活を”うつ活”と名付け、どうしていけば良いものか考えているところです。いずれはただの趣味ブログになるように願っています。

妻を失うということ

ブログではご無沙汰しています。

Twitterでは呟き続けていましたが、更新します。
心が乱れているので文章がおかしい部分もあるかもしれませんがお許しください。

私は今、前回の記事を最後に妻の実家を離れて自身の実家にいます。療養のためです。
山形から移動後すぐに元々通院していた先生の元へ向かいました。
①状態が二段階良くならないと(医師の中での)社会一般の生活には戻れない。
②それまで処方されていた薬も合っていないし、昨秋から何も治療になっていなかった。もっと早く帰ってきちゃえば良かったのに。
③今の思考は正常な状態の脳で考えられるものではないからなんのあてにもならないからアレコレ考えるだろうけど、それを忘れないように。
④あなたみたいな状態から完治しなくても十分働いていけている人はたくさんいるから心配いらない。

と告げられました。


それからの私はTwitterでの投稿通り体調と相談しながら自宅に引きこもらないよう外出する活動を取るようになりました。

1ヶ月後の診察の時にはだいぶ良くなっている。
2ヶ月後の診察の時にも経過は順調と診断されました。

前回の診療のあとに主治医からそろそろ家族の話に踏み込んでいいと指示もあったので、山形の妻に連絡をしました。
今後どうしていくかについて考えて欲しいと伝えました。


以前、病人を夫に持つ妻の選択肢として離婚してリセットすることも今後の幸せのためにあると書きました。
今でもそう思います。

そこにはきっと強がりがありました。


つい3、4日前です。
「離婚しましょう」

LINEにはそう表示されました。
私は飲めないお酒をスーパーに買いに家を飛び出していきました。ただただ泣きくれていました。
すぐに酔っ払って全身が赤くなり頭が痛くなり気持ち悪くなりました。

心が貧しくてぽっかりと空いてしまった穴を後悔だけが埋めつくしています。それから毎日家に閉じこもって1日の大半を横になって過ごしています。

手続きや荷物わ車の処遇のやり取りだけがLINEで行われています。

本日、離婚届が郵送されてきました。
無心になって書き上げました。
封をしてからは泣くばかりでポストへの投函を弟に頼みましたが、やっぱり自分で入れようと書いてから数時間経った先ほど妻の実家の鍵と感謝とお礼と謝罪を手紙にしたものを同封してついにポストへ入れた手を離してしまいました。


僕は不器用で世渡りも下手くそです。
ダサいです。情けないです。
男は女々しい。
女性以上に過去を引きずるといいます。
その通りです。
別に笑われてもいいです。

僕は妻が好きです。幸せになって欲しいです。
失恋で泣いたことはありません。
離婚は特別です。
お金よりも大切なものを失ってしまいました。
小さな幸せは小さな幸せではありませんでした。
それは大きな幸せでした。

どうか皆さんは大切な人改めて思い浮かべて手放さないように日頃の感謝の思いやスキンシップをとってください。


尾崎豊の「僕が僕であるために」を何度も聞いています。
心の奥底まで染み込んできて涙が止まりません。

このショック状態から前向きに生きる方法を僕は知りません。