私の処遇
こんにちは。
山形から静岡へ移動をしている車中で書いています。
家を出る時、妻は泣いていました。
申し訳ない気持ちしかありません。
良くも悪くも進展させる時が来ました。
2ヶ月前の帰省と同じく旅行でも何でもない長距離移動。とても気の浮くものではありません。
近くで楽しそうに会話し、美味しそうに駅弁を食べる他人の姿と今の自分との明暗がとても悲しいです。
以前書いていた通りですが、まず母親の胆嚢摘出手術が今週予定されています。特に難しいものでもなく4日~5日で退院できる見込みです。
とはいえ、無事に終わることを願っています。
その後、言葉が適切か分かりませんが私の処遇を決める話し合いになります。
山形に残る選択肢も当初ありましたが、”抑うつ/パニック障害”がまたいつ悪化するか分からない。爆弾のようなものを抱えたまま婿として妻の実家には残れない。家族に伝染るかもしれない。理解し難いことにイライラさせるかもしれない。役に立つどころか、かえってこれ以上のご迷惑がかかることは避けたい。この状況のまま生活を続けるのは私もとても気まずい。
だから実家が私を引き取ることが両家の為だろう。
離婚も含めて。両親と私の考えです。
幸い、両親にはこうなってしまった以上は今後不測の事態が起きても最低限の生活は何とかしてやると言って貰えています。
ありがたいものです。
手術と同じように切り取られることで山形は平穏に戻り、離婚はツラいですが妻も不安に駆られながら今後も生き続けることは無くなる。少なくとも一旦リセットできる。
急に発症し、仕事がなくなり、収入源がなくなり、生活に不安をもたらすストレスは相当のものがあります。
なんでこんな人生になってしまったのか。
調子に乗っていたのでしょうか。
バチが当たったのでしょうか。
今日もまた考えてしまいます。
人生の転落は一瞬です。
入籍する前から山形に何度か足を運び数日間の滞在で色んな町に連れて行って貰い、ここが好きでした。
目立った娯楽はなくとも想像以上に食事や買い物に困ることは無い街です。
だから、婿になり山形へ引っ越すことに仕事や友人関係以外の面で躊躇いはあまりありませんでした。
妻の両親にはお話しましたが残念でなりません。
こんなはずではなかった。
この一言に全員の気持ちが収まりました。
一日が終わるのをとても長く感じ、一年が過ぎ去るのをとても早く感じます。この数年何をしていたのでしょう。2、3年前すら遥か遠くのようです。
熱海まで3時間半ちょっと。
時間以上に長く感じます。